「職場でうまくやるコツ」から解放されて
少し前の話。
とある仕事の進め方について疑問に思う点があり意見をしたところ、担当者から訳の分からない返答(とりあえず否定されていることは分かった)が返ってきたので、その上のマネージャーに同じ意見を経緯を添えて送ってみた。
前提として、会社に出勤しているのはそのマネージャーだけで、私と担当者はいずれも業務委託という形でそれぞれの仕事を請け負っている。
翌日マネージャーから返信があり、私の意見を取り入れてフローを見直していくことになった。
さて、
良かったね!
とは会社ではなりにくいだろう。もし会社に勤めていたら、私は明日から同僚である担当者にひどく気を遣う羽目になる。数日で終わるのか、担当もしくは私が職場を去るまで続くのか。
大げさな、と鼻で笑うだろう人たちが私は心から羨ましい。そんなことに心をすり減らさなくて済む労働環境は給料以上に価値がある。
会社に行っていた頃、自分の不満や愚痴を自己流で何度も分析して、自分は働きたくないのではなく、こういったことに心をすり減らされるのが嫌なんだというのが分かってきていた。
「職場でうまくやるコツ」を説いた書籍は世の中に溢れている。手に取ってみたこともある。いろいろ書いてあったが要は、
心頭滅却!貴方が変われば良いのですよ。
であった……。
これは根本的な解決にはならない。私がどうなろうと理不尽なことを言ってくる人は変わらないからだ。飲み込んで笑顔で!前向きに!そういった生ぬるいアドバイスはしかし実際に「職場でうまくやるコツ」ではある。ぐっと我慢すれば会社は(表面上)穏やかに回るのだ。
上記の問題提起を凡庸な会社でやるなら、相当な根回しがいる。相手を叩き潰したいなら上司などキーパーソンを押さえるだけでいいだろうが、それにも結構な労力を使うだろう。まして円満にということになったら、問題になっている本人にさえ根回しがいる。
……ピンと来ない人は上記と同じ理由でやはり私は羨ましいが、そんな人はネット上の相談掲示板の類で「困った同僚(上司)」などのキーワードで検索してみてほしい。具体例は溢れんばかりだ。
もう一つ、忘れてならないのが、無我の境地に至った人物でないかぎり、自分自身の扱いも面倒だということだ。注意されれば普通に腹は立つし、気分次第で理不尽な行動を周りに取ってしまうことだってある。人間だもの。本を一冊読んでこの業から逃れられるのなら、今頃日本の会社員はみなハッピーだ。
……とまあ、たかが業務フローひとつ改善するのにここまで長文が書けてしまうほど昔の自分は困っていた。
だから今回のやり取りがあった後、顔も知らない相手だから私は何も考えずに正論を吐けたんだと気がついた。
ちなみに今回、私の言い分が通っていなかったらというのを想像すると、やっぱりどこかでムッとしたとは思う。残念ながら、言い分が正しいかどうかは関係がなさそうだ。何だろうと通らなければ落ち込むし、ムッとする面倒な性格は直らないだろう。でも在宅になり、ゆるくて希薄な人間関係で働くようになってから、立ち直りは明らかに早くなった。どうせ顔を合わせるわけじゃないし、と思うことで切り替えは恐ろしく捗っている。
今回は在宅という環境でかなり楽になったと思うことを書いてみた。もちろん個人事業主だからこそ発生する苦労にも、まだまだなって日が浅い私も遭遇し始めてはいる。が、これはたいがい別物。会社員だった頃のストレスに絞って考えるとすごく楽になったというお話。
妄想してた、職場の閉鎖
そんなことしてたって最近思い出した。すごく楽しかったなあ。
現実になっちゃったわけだけど。
勤務先がなくなることを妄想して面白がるって変態に思われるかもしれないけど、出発点は「明日会社が爆発したら、もう行かなくていいなあ~」みたいな、ありふれた独り言だった。いろいろこじらせてそんな妄想に至ったのだが、この妄想は結果的に自分のためになったと思う。
一斉解雇が現実になってから、はたと、その妄想がどう実現していくのか、これからナマで見られるんだって気がついた。
会社が爆発したら~って思考は、会社が爆発=職場の閉鎖 の時点でストップだけど、私の妄想のサビ(メイン)はその後みんながどうなるか、だったから。
これまでたった数記事しか書いてないけど、うちの部署がそうとうヌルい職場だったってことはもう分かると思う。裏を返せば従業員に優しい労働環境とも言えるかな。他の面でいろいろ問題はあったけど、その環境が何にも代えがたい人たちはもう何年もそこで働いていた。
「(取引先の)あそこ、潰れたんだって~」
「あ、退職の挨拶来てたね~」
「世知がらいね~」
「あの人どうするんだろうね」
このご時世だから、ちらほら届くそんなお知らせは、うちで格好の会話ネタになっていた。
他人事だとみんな思ってたんだろうか?
前にも書いたが「うちも他人事じゃないよね」なんてセリフが出ることもあった。だから私はある日、そうなった日のための準備を拙いながらも始めたんだけど。本気にしてたのは私だけだったんだろうか。
部署の閉鎖が発表されてから、驚いたことに、みんなが転職に向けて動き始めた。
当たり前の流れだと思うかもしれないが、上述した環境のおかげでうちには20歳代の社員はいなかった。一番若くてそれでも30代前半、後は40代以降だった。
絶望でしょ。
私の妄想では、30代前半の同僚はまだ何とか転職できることになっていた。ヌルい職場に十数年いたから在籍年数でのアピールは十分。子どもは保育園に入れてあるので、来年の調査までに次を決めればそのまま働ける。今の環境のせいで仕事の知識・会社の一般常識はかなり偏っているから入社後は多分、かなりキツイはず(おっと、同僚と働くことになる人たちもね)。だけどとりあえずはどこかへ滑り込める。
で、他の人は……と続けたいところだけど、妄想では他に転職を決められそうな人はいなかった。40-50代の再就職。普通はとっくに管理職経験を積んでいなければいけないよね。でもうちではそんなものを積む必要なんてなかったから。そう言えば、うちにあった問題の一つが、上司に管理経験がなかったことだったっけ。
とにかく、今の労働市場に放り出されたら即死するんだろうな~って人ばっかり。
実家に逃げ帰るのかな。それとも、これまで仕事を投げ与えてきた下請けの列の最後尾に並ぶのかな。生活保護でも受ける?もしくは、馬鹿にしてた専業主婦?
妄想はいろいろ膨らんで、どれも楽しかった。
そんな中、同じくアラフォーな自分はどうなっているかを妄想するのも楽しかった。もちろんどの結末もバッドエンドなわけだから、そうならないようなルートを冷汗たらたらで妄想してた。
それを少しずつ実行したのが、私の準備。
このルートの結末はまだ分からないけどね。
フリー? めんどくさーいと思ってた
のは、私が20歳代前半だった頃の話。
その頃付き合っていた人は独立独立言っている人で、ちょうど私たちが別れる頃、実際に独立していった。
それ自体が別れの原因ではなかったが、その頃の私はそういう話を聞くたびに、「どうしてわざわざ自分からしんどい選択をするのかな~。自分で仕事取ってくるって大変だし」と思っていたし、言ってもいた。
会社員の何がラクって、自分で仕事取ってこなくて済むことだと思う。
言い換えると自動的に給料が出てくる、にもなるかな。
もちろん会社の仕事を取ってくることが業務になってる部署もある。あるけれど、会社の看板背負って営業に行くのとそれナシで営業に行くのでは全然話が違う。それくらいはあの頃の私でも分かっていた。
これは今でもそう思っていて、会社員ってポジションに未練が残ってしまっていた大きな理由の一つだ。今は未練の残しようもないけど。
会社勤めなんかしたくなくて、でも我慢して行っている人の多くが「やっぱりラクだから」なんじゃないだろうか。
すっごく実力があって会社にいてもその人自身にどんどん外から声がかかったか、あるいはある日我慢の糸がプッツリ切れたか、どっちか。どちらでもなく、志高く会社を出て行った人がいないとは言えないけれど、まあ、そんなに多くはないと思う。
あ、確か元カレがそのレアケースだったかも。笑。
ともかくあの頃の私は、まさかあれからウン十年後に自分がそんな選択をせざるを得なくなるなんて、思ってもみなかった。
私が社会に出た頃はまだ派遣という仕組みもなかったんじゃないかな。
就職は超氷河期だったけど、アルバイトでなければとりあえずどこかに就職。就職=正社員であり、会社に勤めていればそのうち定年を迎えられるって価値観が、まだまだ世の中に強かったと思う。
時代は変わったね。
今は正社員でも副業してる人がとても多いらしい。ダブルワークってしんどいはずだけど、正社員でいても、それでも心配でたまらない人が増えてる。
ただ個人的には、そういった風潮のおかげで、フリーになる(=会社に頼らず稼ぐ)ことの怖さや自信のなさが、あの頃よりはだいぶ軽減されたようにも思う。
めんどくさーい、ってのはあの頃に同意だけど。
閉鎖する部署の派遣さん
閉鎖が決まったとき、うちの部署には、一人派遣さんが来ていた。
社風的に社員と派遣は分け隔てなくやっていて、私自身も時々彼女が派遣であることを忘れそうになってしまうこともあった。
いつだったか、彼女も入れて取引先と飲みに行ったこともある。業務上伝える必要も無かったので、派遣であることは特に先方には知らせなかった。先方は今でも彼女が社員だと思っていると思う。
その帰り道、彼女は「私、今日のこと派遣仲間には言えないです。社員とおいしいものを経費で食べさせてもらったなんて、恵まれすぎてます」なんて言っていた。
うーん、こうやって文字にするとますますホワイト企業に見えるなぁ。なくなっちゃったら意味ないけどね。
で、部署がなくなるお知らせはさすがに彼女のいないところで行われ、彼女はすぐ後にそれを知らされたそうだ。
偶然、彼女は妊娠による契約満了でその後まもなくうちを去ることになっていた。
多分他の社員たちは私が不在中にしこたまこの件については話してしまっただろうので、今更休暇明けの私が「大変ですよ!」と騒ぐのも妙な空気になっていた。それに個人的にそのときの様子も聞きたかったので、私は彼女に「聞いた?」と話を振ってみた。
「なんか申し訳ないです。私だけ逃げ出すみたいで」
と言われた。うん、あの瞬間から立場が逆転したよね。
彼女は一生懸命調べて、派遣社員でも育休を取れるよう段取りを取っていた。もともとお給料は少ないですけど、それでも足しにはしたいし、と言う彼女に「良かったね~」というその口で「就職は絶対正社員だね。それも福利厚生のいいところ。産休育休時短しっかり取れるところよね」と言っていた同僚も妊娠中だったけど、全部パーになったからね。
「あなたは何も気にすることないよー。ちゃんと準備してただけー」
私は心からそう言った。
退職が決まってた
うちの部署(もう、うちじゃないな)はわりと有給を取りやすいところで、みんな2週間レベルの休暇を年に1-2回取っていた。
部署にもよるのだが、これまで勤めた中ではまあまあホワイトな職場だったと思う。
私もいつものように休暇を申請したし、上司は詳細を見もせずに書類へサインしてくれた。
それでいつものように休暇を楽しみ、休暇明けは多くの人がそう思うように、だるいなぁ、もう行きたくないなぁと思いながら出社した。すると何だか空気が重い。
休暇届にサインしてくれた上司から、すぐ別室へ呼ばれた。「この部署、○月をもって閉鎖になることが決まったから」
ああ、ずっと念じていたせいか、夢がかなってしまった。
私がいないときに決定が下されたので、残りのメンバーは一箇所に集められて聞かされたらしい。異動とかは無理な状況にあり、結果、部署の全員が解雇。
みんなどんな顔して聞いたんだろうな~。
うちの部署は確かにそんなに利益は出してなかったから、ランチタイムには笑いながら「ここ、もうすぐ閉まるよね」なんて冗談を何度か飛ばしていた人もいた。あの頃新入りだった私をああ言ってビビらせていたあの人はどんな顔したんだろうな~。(もちろんその後、じっくり観察させてもらった)
私はというと。
おかげさまで自分で稼ぎ、自分で食うための多少の準備はしてた。でも、あと数年ほど時間はかけたかったし、そうやって実際に準備が完了したとして、会社を辞める決心がつくかどうかは半信半疑だった。
部署解体の告知を受けるまで、自営で生きていくことのイメージは、「マッドマックス」とか「北斗の拳」の世界だったし、自分みたいに会社員として生きてきた人間にはとても務まらないと、社会に出てからずーっと思っていたからだ。
病院の地下で眠っていて目が覚めたら地上にはゾンビがいっぱい!
海を渡ってたどり着いた島には修羅がいっぱい!
映画で見るのは面白いけど、実際に出演してみるとどうなのかな。
まだ結末は分からない。でもとりあえず、それからの日々は学ぶこと、考えること、気づいたことの連続で今もそれは続いている。何となくそれを忘れてしまうのが勿体なくなってきてしまって、ここに来た。